3.24.2011

wahドキュメントの「つなわたり」

昨年、埼玉県の北本市で「家を持ち上げる」という、とんでもなくバカバカしいプロジェクトをやったwahドキュメントが、今度は京都芸術センターで、またとんでもないプロジェクトをやっている(やった?)らしいです。


今回のプロジェクトの経緯がブログに書かれています。
wahの現状:京都
wahの現状2:京都
3月23日つなわたり:ステートメント」。
その中の一文を紹介します。

そして、アイデアミーティングを重ね、アイデアを決定する会議のまさに終盤、危険性が懸念されそれほど人気がなかったアイデア「つなわたり」が、ボランティアさんの一人の主婦の熱弁(机をたたきながら「これをしないで、何がアートだ!」)により一気に拍手が上がり、他に年配方や若者に人気のあったと同等の価値が見いだされた。僕はその瞬間、まだwahが続けられると悟って涙が流れた。

(中略)

そして地震から10日が経過した昨日、センターから許可された綱渡りの実施日(3月23日)の3日前に再度「取りやめ」の意向を伝えられた。もう、綱渡り師の方は東京から家族を和歌山に疎開させて一人でこの状況のなか、たくさんの道具を運んで京都芸術センターに来ている。

僕らは、そもそもこの芸術センターに関わったこと自体もを疑った。

その夜、憤りをおさえながら、僕は相方の増井に質問を突きつけた。「お前は何でこんなに大変な時に、税金を使って表現したいと思っているのか。」「これをやめて、今もなお人の命が亡くなっている被災地にお金を送った方が世の為ではないか」 増井は「そう言われるとわからない。けど俺はこんな時に無料で美術館が解放されていたらいいと思う。」そのこたえにしばらく戸惑ったが、その応えを元にを話を極論づけてゆくことができた。「ここが仮に被災地だったとしたら俺たちは何をやるべきか?」と考えた。二人とも結論は「つなわたり」だった。僕らにできることはまさにこれであり、そして、今この可否を世に問うことだと悟った。それは人々を希望に包み込むかもしれないし、もしくは確かに恐怖を抱かせるかもしれないことである。しかし、それを表に出し世に問うことは、我々が存在する根拠であると悟った。
ぜひご一読ください。私は、彼らを応援します。

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