今週土曜日に森下スタジオで行う「Asia Interactive Research 中間報告 vol.01」に向けて、この数日間、インドネシア、韓国、日本各地の民俗芸能の映像を、毎晩、毎朝、必死こいて編集しています。
自分で言うのも何ですが、これらの映像、とっても面白いです。無料で見せるのは惜しいくらいです。つくづく思うのですが、こうした芸能を「文化財」とか「観光資源」として扱うまえに、同時代のアートとしての価値を再発見しておくべきだと、心底思いますね。
例えば、ウチから車で30分くらいの山間の集落に伝えられている獅子舞は、なぜ、同じ動きを何度も何度も繰り返すのか、分からない。分からないけれども、繰り返しているうちに、踊り手の体が変化していくのが、面白い。
全国的にも有名な埼玉の川越まつりのお囃子で、ひょっとこの面を被ったおじいさんの踊り。その軽やかな足腰と手の動き、表情豊かに見える微細な首の動き。こういう体は、あと数十年したら日本から消えるかもしれない。
それから、韓国・安東の河回村の仮面劇。酔っぱらいを風刺した動きはデタラメのようでいて、とても体を制御している。その制御をまったく感じさせずに、まるでデタラメに動いているかのうに見せているのが、すごい。
考えてみると、能にしても歌舞伎にしても、見る人の多くは、その芸能の様式そのものを了解事項としていますが、例えば、なぜ能はあんなにゆっくり動たり謡ったりするのか、私には、わからないんです。その分からなさ加減といったら、私には、相当アバンギャルドなコンテンポラリーダンスと同じくらい、わからないんです。
私たちは、日本やアジアにルーツがあるはずなのに、文化や芸術に関しては、圧倒的に近代以降の欧米からの情報を受け入れてきたわけです。その眼には、日本やアジアの民俗芸能の多くは「いままで見たことのないもの」として映ります。と同時に、それは欧米から見たエキゾチズムとも違っていて、初めて目に映るとしても、体のどこかで覚えていたものが呼び起こされる。その、胸のあたりのムズムズした感じは、何なんだろう。
ホントは生で見てほしいのですが、とりあえず、土曜日に森下スタジオに来てください。みんなでいろいろ見て、語り合いたいです。
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