10.01.2010

住み開きネタだし会

アサダワタルさんが提唱している「住み開き」の、東京近郊での事例を集めようという「住み開きネタだし会」が、昨日、アートスポット小金井シャトー2Fでありました。
限られた時間での数々の発表でしたが、非常に興味深い事例ばかり。でも、もっとたくさんあるはずだという予感もしました。もっとじっくり聞きたかったけど、実際に現場を訪れるしかないねぇ。
最後のほうで少し感想を話す機会を与えられたので3点ほどコメントさせていただいたんですが、捕捉を含めて書き残します。
1つは、最近私が関心を持つようになった中世の「無縁所」と現在の「住み開き」には、やはり共通項があるような気がしたということです。両者は、「そこでしかあり得ない」コミュニティセンターであり、福祉センターでもあり、アートセンターでもある、という点で共通しているように見えます。
2つめは、住み開きを説明するのに「公共」という言葉を安易に使いすぎるんじゃないか、ということです。私は、住み開きという場や活動は、きっと公共的だろうとは思います。が、安易に「公共」という言葉を使うと、それは行政が安易に言う「公共」と区別がつかなくなる。それは、とても、モッタイナイと思うからです。
行政が「公共」という言葉を使うとき、本来の意味から相当逸脱している状況がある(たぶん増えている)ように思います。住み開きを実践する人たちは、「公共」に対して敏感なアンテナがあるはずだから、もっとシビアに、クリアに「公共とは何か」を語れるはずだと思います。
3つめは、「公共」という言葉と同じくらい「みんなの場所」といった言葉が聞かれたのですが、「無縁所」を下敷きに考えると、それは逆で、もしかしたら「誰のものでもない場所」なんじゃないか。つまり、そこはいかなる権力も有効ではない、という場所だからこそ、自由と自治が生まれるんじゃないか、という気がしています。
だから、住み開きと、公民館や公共ホールや公共美術館は、根本的に存在意義が違うものだと思うし、その違いこそ大事にしてほしいのですよ。行政の下に収まったり、消費に流されたりしないで、どんどん多様化しながら「住み開き」を実践し続けてほしいです。
アサダさん、岸井さん、また誘ってください。あ、ウチにも泊まりに来てくださいよ。ぜひぜひ。

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