8.18.2009

お囃子が存在する理由

昨年10月から続けてきたお囃子の稽古。ついに藤野神社の祭典で、しかも山車の上で太鼓を打つことができました。感無量です。
藤野神社の祭典は、小渕という集落を山車を曳きながらお囃子を演奏します。この山車は相当重いうえに、そこにお囃子を演奏する人、踊る人、次の演奏や踊りのために待機する人で、山車の上には10人くらい乗っています。山車には車輪は付いていますが、エンジンもブレーキもありません。車体の前に2本、後ろに2本の太い綱があり、小渕の住民が綱を引っ張って動かしたり止めたりします。車体の前の中央には太い舵があって、大人2人が舵を左右に動かします。
小渕は北側を山に、南側を川に挟まれていて、坂道や曲がり道が多いので、上り坂は前の綱、下り坂は後ろの綱を引っ張ります。曲がり角では、山車の運行を先導する大人が、舵取りに向かって「山!」というと舵を北に、「川!」というと南に梶を切ります。
舵を取る人、綱を握る人、お囃子を演奏する人、踊る人、ざっと百人くらいは山車の前後に列を成して練り歩きます。沿道で声援を送るお年寄り、休憩処で飲み物や食べ物を出してくれるおばさんたち、綱を引っ張る成年の男たちや子どもたち。性別、年齢、職業、趣味、血液型、支持する政党、好みのタイプ、みんな違っているけど、同じ場所で暮らしているから、一緒に山車を曳くわけです。それが何のためか、分かったような気がしました。
それは、同じ地域に生きている人が、年に一度の共同作業を通じて、お互いの信頼を確かめるためなんだと思います。村に信頼が培われていなければ、五穀豊穣、家庭円満、交通安全、商売繁盛といった村人の願いを、神様は聞いてくれない。だから、村人みんなで神様を「はやしたてる」。それが「お囃子」なんじゃないか。古来から人間は、そうやって神様を信仰しながら地域社会を構築してきたんでしょう。たぶん。いや、絶対そうだと思うなぁ。

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