7.21.2009

市場や政府の論理に圧迫される共同体

祭りが近づいてきました。今年の藤野のまつりは、8月15日(土)、16日(日)、17日(月)。先日の土曜日のお囃子の稽古には、若い衆もたくさん参加して賑やかでした。
祭りでは、山車を動かして藤野駅周辺の道を移動しながらお囃子を演奏したり、夜には駅前のバスロータリーのところに山車を停めて、演奏と一緒に踊りを披露したり、御輿を担いでまちを練り歩いたりします。小さなお祭りですが、地域が支えてきた素朴さがとても魅力的です。
ところで、少し前にお囃子の先輩から聞いた話。
藤野駅の前には甲州街道(国道20号線)が通っていて、祭りの日になると、山車や御輿が通る時間帯には交通規制をかけることになるわけです。が、もしかしたら近い将来、甲州街道を山車や御輿は通れなくなるかもしれない、という話を聞きました。お祭りは、お盆の帰省ラッシュと重なっているので、甲州街道の交通量も多い。藤野駅前の甲州街道は両側二車線で幅も狭く、山車や御輿が通るために車が通れなくなると、たまたまそのときに甲州街道を車で通る人にしてみれば、警察や役所に苦情を寄せることになるのも分からなくもない。
その一方で、甲州街道を山車や御輿が通れなくなると、お祭りは大きく変わってしまうような気もします。ずっと古く、自動車が走る前から、毎年、お祭りの日には甲州街道を山車や御輿は通ってきたわけで、道は、そのためにもあったはず。なんだけれども、いずれ近いうちに、山車や御輿よりも自動車が優先されて、特定の地域のお祭りよりも、不特定多数の移動を優先するようになるかもしれない。
これは、共同体が、市場や政府の論理に圧迫されるという構図のジレンマだと言えるんじゃないか、と。
規模や内容は違うけれども、沖縄県の高江という集落に、米軍のヘリパッドを整備するという問題にも共通したジレンマを感じます。政府からすれば、東アジアに生きているすべての人間の安全保障という根拠を持ち出せば、その小さな集落の約160人の住民が立ち退くというのは、何でもないことなのかもしれません。
しかし、共同体の論理よりも、政府や市場の論理を、常に「是」としてしまっていいのだろうか?
できることなら、これからも毎年、甲州街道を山車や御輿が通れるように。これからも沖縄県の高江に住む人が平穏に暮らせるように、私は願っています。

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