世田谷美術館の「冒険王・横尾忠則」展を、区内の小学校の児童が鑑賞する予定だったのが、一部の教員が「教育的ではない」という意見を発して、区の教育委員会が小学校全校の美術館での鑑賞をキャンセルした、というニュース(5月16日東京新聞 TOKYO web『児童に不向き、過激』 横尾展の鑑賞教室中止 世田谷区教委)がありました。
また、教育再生懇談会では、子どもを有害情報から守るために、小中学生に携帯電話を持たせないように関係者の協力を促す、というニュース(5月27日毎日jp 教育再生懇:第1次報告 小中生携帯、性急な規制困難との結論)がありました。
この二つのニュースから思ったんですが、子どもに「見せない」とか「使わせない」ということを、政府や行政機関が言うことに、違和感を感じなくてもいいんだろうか、と思いました。
たしか5年連続で「子どもに見せたくないテレビ番組」に選ばれたバラエティー番組があると思うんですが、こういうのも、いずれ「子どもには見せないように関係者の協力を促す」ことになるんでしょうか。世間はそれを望んでいるんでしょうか。
私には、政府や行政機関が「見せない」「使わせない」ということを決めてくれれば、大人が説明しなくても済むからラクでいいですね、という以外にどれほどの意味があるのか、ピンとこないです。子どもと、その子どもの周りにいる大人が、ちゃんと向き合って考える機会を、失わせていると思うんですが。
これに関しては、表現の自由とはまた別の問題意識を感じています。
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