5.19.2008

現代の人間社会と「集約畜産」

先のエントリーの「集約畜産が感染症を拡大させている」というニュースは、文化多様性について様々なことを想起させてくれる話だと思いました。
現代の人間社会を「集約畜産」に置き換えるというのは、あまりにも自虐的かもしれませんが、産業や経済のシステム、メディアや教育のあり方を考えても、集約畜産における家畜と、現代社会の人間は、それほど遠くないイメージだと思うのです。それに、感染症は、もちろん医学的な意味でもあるとは思うのですが、精神の病としてのストレスや鬱病なども、現代社会におけるある種の感染病だといえないだろうか、と思うのです。後を絶たない自死にしても、動植物を標的にした破壊行為や殺害などは、一般社会からはみ出した特別な人間の行為というよりも、集約された私たちの社会から発生し、私たちも多かれ少なかれ感染している病の現れではないかと。
「生物の多様性は、ウイルスの人間への影響を弱め、世界規模で保健の維持を保障する」ということが医学的に証明されるのであれば、私は、文化の多様性もまた、世界規模での保健の維持、ひいては世界平和の維持に資するとうことが証明できると思うんです。
ただし、多様であるだけでは無秩序や混乱と同じだという見方もあるでしょう。多様性のうえに成立するバランスや共生、互恵・互酬関係をどのように構築するのかが難しいのだと思います。

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