4.19.2008

社会の病に対するプラシーボ(偽薬)としてのアート

先に引用したNewsweekのプラシーボ(偽薬)に関する記事を読んだとき、私は「これはアートの話でもあるなぁ」と思いました。
いま、様々な領域でアートを活用した社会的課題の解決が試みられています。教育で、福祉で、まちづくりで、アートが活用されています。
でも、例えば、アートが教育に対してどのような効果を持つのかを、科学的な説明は簡単ではありません。高齢者や障がい者に対するアートの効果も、アートでまちづくりをするにしても、それがアートでなければならない根拠を提示することは、とても困難です。仮に、アートによる社会課題の解決のサンプル事例を集めて調査、分析しても、統計的な相関関係は見出すことができても、科学的な因果関係を見出すことは難しのではないかと思います。しかしながら、実際に、アートが効果を発揮している教育や福祉、まちづくりの現場が実在しているのです。
先に引用した記事の中で、「問題は薬があてにならないということではなくて、プラシーボは非常に効果があると言うことだ」と述べたのは、米デューク大学の行動経済学者ダン・アリーリーという方ですが、この「行動経済学」という領域が、またアートと社会との関係を考察するうえで、参照すべき点が多いのではないかとも思います。
アートがなくても、生活や生死に関わるわけではない、と言われます。それを否定する科学的な根拠は、少なくとも私は知り得ていないのですが、「アートは、様々な社会の病に対して効果がある」ということは間違っていないと思うのです。
逆に言えば、アートのない世界を想像したときに目に浮かぶのは、相当、危機に瀕した社会なのではないか、ということです。

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