3.18.2008

「文化的虐殺」について考えました

先日以来、中国チベット自治区ラサの暴動問題が報道されていますが、ダライ・ラマの記者会見の中で「文化的虐殺」という言葉が出てきました。
wikipediaでは、虐殺という言葉を「『むごい殺され方』やそのような殺され方がおこなわれた出来事」としていますが、私は「文化的虐殺」という言葉を、「文化を虐殺する行為」と解釈しました(文化的な虐殺行為、という意味は有り得ないので)。そしてこの言葉は、とても大きな意味を持つと思いました。
フリー・チベット〜チベタン・フリーダム・コンサート1996」というライブDVDがあるので、もし関心のある方は見てください。冒頭に、このコンサートの主催者の企画の意図や、アメリカに亡命したチベット僧のインタビューがあり、おそらく中国政府は絶対に否定するであろう映像も挿入されています。おそらく見た人は「文化的虐殺」という言葉に頷くでしょう。
ただ、このDVDでも強く意識されている重要なポイントがあります。チベットの解放問題に関心を持ってもらうために、アメリカのポップミュージックの大御所たちがライブを繰り広げているものの、コンサートに集まる若者たちは、チベットの問題、チベットの文化にどれほど関心を持っているのかというと、そうでもないと感じます。
私は、文化の多様性を認められない社会は、すでに「文化的虐殺」に荷担していて、私たちの世界の至る所で「文化的虐殺」がおきているのではないかと思います。それは暴力的手段だけでなく、政治的手段や経済的手段によっても。
「チベタン・フリーダム・コンサート1996」の最後に、アイスランド出身のビョークが登場しています。そのビョークは、先日、上海でのコンサートで「チベット独立」を叫んだというニュースがありました。CNN.co.jpの記事から、一部を引用させていただきます。
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ビョークさんの発言は、中国の国営メディアで報じられていない。しかし有名サイト新浪網には、『もし事実ならへどが出る』といった感情的な書き込みが見られる。コンサート会場にいた一部の人々は、コンサートのフィナーレが突然政治色を帯びたことで、現場が気まずい空気に包まれたと当時の様子を振り返る。英国人の英語教師は、客席からブーイングは出なかったものの、観客が足早に会場を後にした、と語った。
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文化的虐殺の、生々しい1シーンを伝えていると思いました。

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