11.17.2011

その価値に気づいてしまった人の役割

いわきアリオスの「モヤモヤ会議」の続きの話を書かなきゃと思っていたら、藤浩志さんがブログに書かれていました。藤さんは、震災前からやっていた「アリオス・プランツ!」の発案者でもあります。
その藤さんのブログにも紹介されていた、中之作プロジェクトの豊田さんの話を聞いて、私は感服したんです。要するに、津波の被害で解体の危機にあった古民家を、豊田さん自身が購入する(!!!)という形で、なんとか保存した、という話です。
この話を受けて、たしか藤さんから「その価値に気づいてしまった人の責任」という言葉が出て(すみません、前後を含めた正確な発言が思い出せないのですが)、私は、一気にモヤモヤが膨らんだわけです。「責任」という言葉がいいかどうか分からないものの、少なくとも「その価値に気づいてしまった人の役割」ということは、たしかに、あると思う。
つまり、200年の歴史を持つ古民家が解体の危機にあって、それに価値があるから残すべきだと言っても、代々200年間支えてきた世帯主に責任を押し付けるわけにはいかない。そこの地域全体も被害を受けているから、地域コミュニティでも責任は負えない。自治体にしても、津波の被害を受けた建物の解体費用を補助するのが精一杯で、とても保存に責任を負えない。国なんて、とうてい期待できない。
そこで、最後に残された可能性は「その価値に気づいてしまった人」なんだということです。私は、それを責任とは言いにくいけど、たしかに、その価値に気づいてしまった人には、それを残すための役割を果たさねばならないと思う。
今までは、その役割から逃れて、解体を決めた所有者や、地域コミュニティや、自治体や、国の責任にしていたかもしれない。でも、そのようにして私たちが作ってきたのが今の社会だと思うと、自分自身の役割を、もう一回考えないとなぁと思ったわけです。

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