10.25.2011

200年前の根っこがどこにあるのか。

小暮先生のつぶやきで、J.S.バッハ(1685-1750年)の後世の再評価の話題について触れられていたので、いろいろ考えました。
20世紀の作曲家や演奏家で言えば、シェーンベルク(1874-1951年)、カザルス(1876-1973年)、ストラヴィンスキー(1882-1971年)、ヴェーベルン(1883-1945年)、グールド(1932-1982年)にとって、バッハは200年ほど前の作曲家だった。そのバッハを、とことん研究したと同時に、作曲や演奏の技法において、大きな革新をしたということも共通していると思います。
表現様式の大きな革新が生まれる際に、アーティストが「古典」や「原点」に回帰するということが必然のような気もします。が、彼らにとって「古典」や「原点」という認識はあったとしても、それを「伝統」とは思っていないような気がします。もしかしたら、わざわざ「伝統」と言わなくても、自分の表現の「根っこ」を辿れば、そこに繋がっているという認識がある、ということかもしれません。
そこで、21世紀に生きる日本やアジアのアーティストは、何を根っことしているのか。どこに根っこを見出すのか。例えば、今から200年前というと、日本はまだ開国していなかったわけですが、開国する以前の文化に対して、どれほど私たちは根っこを感じているのか?その根っこがないのに、革新なんてできるのか?いや、根っこがないから革新ができるのか?いやいや、根っこのない革新なんて、革新と言えるのか?
という自問自答が、昨日から続いています。

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