小劇場演劇の制作者を支援するポータルサイト「fringe」に、これまでの劇場法(仮称)に関する議論まとめが掲載されています。経緯が簡潔にまとめてくれていて、こりゃありがたいねぇと読み進めてみたら、終わりの方に、私のブログを紹介してくれたりしていて、嬉しいやら恥ずかしいやら。fringeさん、ありがとうございます。
劇場法(仮称)のことを眉間に皺を寄せて難しい方向ばかりに考えてしまうので、ちょっと力を抜いて、どんな劇場があったら嬉しいかなぁと考えてみました。
それで思い出したのが、大学卒業前にヨーロッパを旅行したときに、ふらっと入ったドイツのミュンヘンの市立劇場で、オペラを観たときの印象を思い出しました。演目はたしかモーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ」だったと思います。ミュンヘンには、世界的に有名な州立の歌劇場もありますが、私が行った市立劇場は、庶民的で、値段も全然安かった。たぶんコシ・ファン・トゥッテもイタリア語じゃなくてドイツ語で上演していた記憶があります。
お客さんは地元の人が多い感じ。普段着慣れないフォーマルな服を着て、顔見知りに会って照れ笑いしているお兄ちゃんがいたなぁ。客席には縦方向の通路が少なくて、開演間近になって中央付近の席に座るお客さんがいると、端っこから「すんません、すんません」と先に着席したお客さんの前を通らなきゃいけない。座席の前後間隔が狭くて、座ってた人も立ち上がらなきゃいけない。でも、全然迷惑そうな感じじゃなくて、「どうぞどうぞ」と笑顔で通してあげて、それがとてもいい感じでした。
指揮者がオケピットに入ってきて、序曲が鳴り始めても、まだしばらくは客席でも近くの人と挨拶していたりする。でも、序曲が終わる頃には「シーっ!」と注意を促す人もいたりして、幕が開いてオペラが始まる。登場する主人公の姉妹だったっけ、その女性歌手が、何というか、素朴な感じがすごく素敵だったのを覚えています。普通に、街で生活しているお姉さんが、舞台に立っている感じ。今日も舞台を降りて楽屋口から出るとき、買い物かごを右腕にぶら下げて、かごから大根とかネギとか見えてる感じのお姉さんだった。
その劇場は、私の理想のモデルの一つです。それだけが唯一の理想じゃないけど、理想の一つ。
劇場やホールに、アーティストや芸術の専門家がいる、ということは、とても大事なことのような気がします。本番だけじゃなくて、いつ行っても、いる。稽古してたり、リハーサルをしてたり、ワークショップをやってたりする。そして、アーティストや芸術の専門家が、普段からその街で暮らしている。定食屋で食ってたり、居酒屋で飲んでたり、商店街で買い物してたり、川の土手を散歩してたりする。買い物かごから大根が出ているソプラノ歌手に、商店街の魚屋のおっちゃんが、「こないだの舞台、面白かったから、今日はイワシを安くしとくよ」と声をかけるような状況になってほしい。
仕事として芸術活動をする人が地域に暮らしている、ということが、ごく当たり前のようにある。それは、もしかしたら地域の何かを変えることになるかもしれない。そういうことが、日本各地の劇場やホールで実現してほしいなぁと思います。そうなるような、劇場法(仮称)だったらいいなぁ、と思います。
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