1.19.2008

岡本太郎の「明日の神話」の行く先

1968年から69年にかけて岡本太郎氏がメキシコで描いた未完の巨大壁画「明日の神話」。数年前に修復されて、現在、その恒久設置場所をめぐって東京の渋谷区、大阪の吹田市、広島市が立候補しています。1月9日、岡本太郎記念現代芸術振興財団のゼネラルプロデューサーが広島市を訪問し、15日に市長が記者会見しました。広島市のwebサイトで記者会見の内容を報じているのですが、市長のコメントを読んで引っかかってしまいました。
記者が「『明日の神話』を広島市に誘致するためには、アピールをどのように進めていくのか」という趣旨の質問をしたところ、市長は以下のようなコメントでした。引用させていただきます。
「どういったことをお考えになっているのかよく分かりませんが、おそらく、オリンピックの誘致のようなことをお考えになっているのではないでしょうか。
そういう商業主義的な大きなイベントをするとか、ドンちゃん騒ぎというのは言葉が悪いかもしれませんが、何か大きな仕掛けをつくって、商業ベースに乗ってアピールするというのは、ある意味、芸術の冒涜だと私は思います。
それと、この壁画は広島がテーマになっているというのが大変大きいわけですから、それはおのずから被爆体験を大事にするという広島の立場から、その体験そのものの尊厳といいますか、それにふさわしい形のアピールが必要だと思います。」
私はコメントの趣旨には共感したんですが、「芸術の冒涜」という言葉が出てきたのが引っかかったんですね。芸術は神聖なものだという考え方があるから、冒涜という考え方もあるんだと思うんですが、神聖とか冒涜という言葉を使う個人の、芸術や芸術家に対するリスペクトがどれほど誠実なのかによって、ニュアンスが変化するように思うわけです。
芸術や芸術家へのリスペクトがある都市に「明日の神話」が恒久設置されることを願っています。

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